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日々つれづれ。

    

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最近、ページめくる度にずんずんのめりこんだり、
「おお!これは!」とがつんと来る本になかなか巡り会えないのですが
(まあ読む量が少なすぎるというのもあり)
久々に出会った!これ!



アメリカ在住のインド女性作家による9つの短編集。
主人公はアメリカ在住のインド人が多い(インドが舞台の話もあり)
表題作は、ややすれ違い気味になってきたインド人夫妻が、
毎日1時間だけある停電の時間に、お互いの秘密を打ち明け合うという話。

どの話も、なにかどかんとドラマチックな出来事が起こるわけではないのに、
ほんのささいな出来事で、かすかに、でも確実に変わっていく日々の暮らしや気持ちを描いている。
この淡々さ加減が絶妙!
登場人物が「住み慣れた土地から離れたとこで暮らす人々」てのが、
また切なさを醸し出していいのー。

短編集って「これは好きだけどこれはいまいち、よくわからない」ってことがよくあるけど、
このお話はどれもひとつひとつ独特の味わいがあって、それぞれに違った魅力がある。
特に最後の「三度目で最後の大陸」は、この短編集をしめくくるにふさわしい、
しーんと染みる話だったなー。でもやっぱ全部いい!

この作家さんの本は全部読まなくちゃ!
翻訳も、お話にぴったりな雰囲気で読みやすい。
でも原書でも読んでみたい〜。
お、アーヴィングとか訳してる翻訳者さんじゃないか。
そーいえばアーヴィングのインド人が主人公の長編「サーカスの息子」もまだ読んでない...

しかもこのラヒリさん、めっちゃ美人...



これは何度も読み返す1冊になるでしょう。

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好きなことをして生きていこう、というおふたりのユニット、
k.m.p.(金.もーけ.プロジェクト)のシリーズ。
旅本や日常的なエッセイコミックなどなんですが、
素朴で力抜けててささります〜。

このポルトガル滞在記なんか、めっちゃ読み込んだわ。

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これ読んでモンサラーシュは絶対行こうって思って、
多分バルコニーの感じから、おんなじ宿に泊まったと思う。

この本も大共感。
おかーさんを旅行に連れて行ってあげたいけど、
いざ行くと身内だけにイライラすることも多く、
ついついケンカしちゃうって、
あるあるある〜〜〜〜〜〜!
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そして先日古本屋でみかけたこの本。

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お、k.m.pの本だ、と思って手に取ってぱらぱらめくったら、
2、3ページめくっただけで、だ〜らだら泣けてきた。
こりゃ参った...

いや、哀しい話とか、感動的な話とかゆーわけでは全くなく、
ちいさな女の子とお母さんのありがちな日常の一コマが淡々と描かれているだけなのですが。

この「ありがちな」ってのがミソかな。

買って帰って、電車の中で開きたいのをがまんして
(電車で広げたらえらいことになるからな)
おうちで読みましたが
やばい。これほんとやばい。

きゅいんきゅいんくるぜ。

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昔、3次元と4次元の違いの説明を読んで、ああ、なるほどね、と思ったのは。
未来が見える人っていうのは、この世界を空を飛んで見下ろしてるようなもんなんだよ。
地面を歩いていたら、行く先になにがあるのか見えないけど、
空からなら見えるでしょ?
そういう見え方の違い。

私は別に異次元とかパラレルワールドとか予知能力を信じているわけではないけれど、
多少運命論者的な考えをしてしまう傾向がある。
自分が体験すること、見るもの、会う人にはなにかしら意味があって、
後から「ほらね、こうなるようになってたんだ」と思ってしまうことがよくある。
それは別に運命は決まっていて変えることはできない、という悲観的な考えではなく、
どっちかとゆーと、神さまはこういうふうに仕組んでいたんかい?
こっちへ行きなよ、と道しるべを置いてくれてるわけだね、という感じ。
行き先を知りたいとも思わないし、どこにどんな道しるべがどこにあるかも知りたくない。
でも、道しるべを過ぎてちょっと振り返って、
ああ、こういう道をたどって来ることになっていたのね、と思うと面白くない?
死ぬ前に「これまでが走馬灯のように」って言うけど、それって今までの出来事が
「ああ、これとこれがこーゆーふうにかんでいたんだ」っていう、パズルが完成するような感じなのかも。

オウエンは、自分の歩く道を少しだけ上空から見てしまったみたい。
はっきりとではなく、ぼんやりとにしても。

この物語の舞台はニュー・ハンプシャーの田舎町。そこに住む2人の少年の物語。
語り手ジョンの親友のオウエンは生まれつき極端に背が低くて小さい体で、
声もかん高い、見た目はいつまでも子供のような少年。 でも、中身はものすごーく大人なんだけど。
物語は、2人が11歳の時、 オウエンが生まれて初めて野球の試合で打ったボールがファイルになり、
語り手ジョンのものすごく魅力的なお母さんに当たって、 お母さんが亡くなってしまう場面から始まる。

このオープニングみたく、悲劇なんだけどなんとなく滑稽な出来事が
これでもかこれでもかと起こるのがアーヴィングの小説の魅力的なところ。
出てくる人物も、この物語に限らずどこか妙な人たちばかりで引き込まれる。
昔に比べるとずいぶん本を読まなくなってしまったけど、 こういう小説読むと、
ああもっと小説がっつり読みたい! もう山にこもって暖炉の前で小説ばっか読む暮らしがしたい!って思っちゃうわ。
幸い、まだ読んでないアーヴィングの小説はいくつかあるんだけど、
読みつくすのが惜しいのでちょっとずつじっくり読もうっと。
次は「サーカスの息子」と「また会う日まで」、どっちにしよーかなー。

「オウエンのために祈りを」には、 なんだかみょーちくりんな小道具やエピソードが次々出てくるんだけど、
それはみんなオウエンの未来を象徴していた。
この本の表紙に描かれている、洋裁用のマネキンとアルマジロの剥製もそのひとつ。
野球とちょっと妙なバスケットの練習、学校でのちょっとしたいたずらも。
そしてかん高い声と小さな体で生まれてきたことも。
自分は神様の遣いなんだ、という信念を持っている彼は、 行き先をはっきり知っているわけではないけれど、
どんな道しるべが立っているのかは見えていたみたい。
それが最終章の最後の最後で、一気にパズルが完成するのです。
これは、オウエンの一生のお話。

それにしても、アーヴィングの本を読むとなんだか無性に物語の舞台の町に行きたくなるなー。

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作家/パンクロッカーのマチダさんが、

自宅や仕事場で同居している猫さんたちについて語ったエッセイ。

「猫にかまけて」というタイトルに惹かれて、図書館で手にとってみた。

 

マチダ家の最古参猫、悠然としたココア

数々の必殺技を持ち、猿の血をひく疑惑があるお茶目猫野郎ゲンゾー

ボロボロになって死んでしまう寸前だったところを拾われてきたヘッケ

美人猫なのに人間の背中で爪をとぎ、ゲンゾーをどつきまわす凶暴な奈奈

野良猫だったところ、ボランティア団体からマチダ家に連れてこられたシャア

同じく保護猫のとぼけた巨猫、ニゴ

最初は敵意むきだしだったのに、いつしかマチダさんのギターに合わせて

ヘッドこすりんぐをするようになったトラ

丸目・丸顔の愛らしい猫、ウメチャン

保健所で生きたまま火あぶりになる寸前だった、わずか200gの黒猫エル

 

といった猫さんたちと、マチダさんや奥さんとの日々が、

淡々としたちょっと古めかしい、

でも読んでいてくくくっと笑ってしまうような

魅力的な文章でつづられております。

何頭かはマチダ家で幸せに暮らし、

何頭かはマチダさんと奥さんに看取られて、小さな命を落としてゆく。

(何匹か、じゃなくて何頭なのは読めばわかります)

 

私はこれをカフェとか電車の中で読んでいて、

おかしくてにやにやしてしまったり、

やばいと思いつつ涙がだらだら流れてきたりで、タイヘンでした。

 

パンクロッカーなのに、結構小市民で世俗的なマチダさんの日常の描写もおもしろいです。

 

どのエピソードも心に残るものばかりなんだけど、

中でも、手のひらに乗りそうな、たった200gの黒猫エルが、

医者もあきらめた瀕死の状態から、必死で生きようとする力に胸をうたれます。

たった10ccたらずのごはんをうんと苦しみながら無理やり食べ(さされ)て、

食べてもすぐに戻してしまっていたエル。

回復しても、自分でごはんをどう食べていいかわからず、

マチダさんの奥さんに、「おなかがすきました。ごはんを食べさせて」と

一生懸命お願いするエル。

ネズミくらいの大きさのエルの、

まっすぐな目線の写真は、なんて力強いんでしょう。

 

とても感銘を受けたので、

2冊あわせて、私の生涯本箱に入庫させていただきます。

 

町田さんの他の著書が読みたいのはもちろん、

音楽も聴いてみよーと思った。

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だらだら寝ていたので、昼起きると外は真っ白だった。
しかもまだ降ってるやないの。
テンションあがるわー。出かけなくていいもんね。
雪の降る日に、ぬくぬくの場所で
お茶飲みつつ本を読むのが好きなので。

といっても、家では気が散って本が読めないので、
こういう日はお茶屋さんかファミレスにこもります。
今日は長時間こもる気満々なので、
お茶おかわりし放題のロイホへGO!
・・・ちょうど、きのう自分で書いていて
久しぶりにロイホのパンケーキ食べたくなったし。

ということで久々に食べたロイホのパンケーキですが、
しばらく食べていなかったので、変わっちゃったかと思ったけど、
ちゃんと1枚1枚焼いてくれる、昔ながらのMr. ディモズ(誰やねん)のパンケーキだったわ。
やっぱうまいよ・・・。そんじょそこらの専門店のよかうまい。
それにここのケーキシロップは、フェイクでもなかなかよくできています。
甘味がかなり控えめで香ばしくて、結構好き。

だらだらとお茶を飲みつつ
村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読破。
けっこうジョギングは好きなんだけど、最近あんまし走っておらず。
ちょうど、アパートのそばによい公園があるのに・・・。
もーちょっと暖かくなったら、またまめに走ろう。

2冊目の、町田康の「猫にかまけて」は読みきれず。
ああ、猫とこたつで丸くなりたい。

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大柴じゃないですよ。

今日はホワイト・シチューを作ってみました。
市販のルーは味が濃くてあまり好きではないので、ルーもバターと小麦粉で作りました。
ほんとは、電子レンジで作ったほうが簡単だしなめらかにできるんだけど、
ちょうどいい器がないので、フライパンで。

ルーというものの存在を知ったのは、
おそらくわたくし史上最も再読回数が多いと思われる
ドイツの児童文学作家・オトフリート・プロイスラーの
「おおどろぼうホッツェンプロッツ」を読んたき。
なぜこの本が好きだったかというと、
ザワークラウトとかソーセージとか、コーヒーミルとか、
異国情緒あふれる食べ物(関連)がいっぱい出てきたのも大きな理由でありましょう。
ザワークラウトというものが食べたくてしょーがなくなったんだよな。

で、たしかきのこスープを作るだのなんだりのくだりで、
この
「じょうずに炒めたルーもな」
って出てきた記憶が・・・。
注釈で、「小麦粉をバターで炒めたもの」とかなんとかついていて、
私は、スープに入ってるだんごのようなものと勝手に勘違いして
「ルーの入ったスープ」にも、憧れを抱いていたのでありました。

小学校の家庭科で、カレールーを作ったときはひそかに嬉しかったね。
今日のシチューは、見栄えは(いつものごとく)いまいちながら
味はとてもわたくし好みに仕上がりました。
3日ほど料理しなくてすみます。

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放浪生活を夢見つつ、
現在は東京に生息中の関西産。
おいしいものと好きな音楽があれば
まあいいか。

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